24.
──セイタ。
──セイタ。
悔シヤ。
恨メシヤ。
マダ、幼ナ子デアッタノニ。
己レラノ、ツマラヌ諍イニ巻キ込ムナ。
自ラノ恨ミナラ、自ラデ晴ラセバ良カロウガ。
悔シヤ。
恨メシヤ。
コノ怨ミ、末代マデ。
──見上げた少女の目。
『どうして? だって、わるいのは……』
悪いのは……。
本当に悪いのは────、
とにかく、まーと翔くんを救出しなければならないため、TV局に戻ることになった。
「化生の『結界』の敷地内に戻るから、『救出』の話は極力、口にしないように」と勇に念を押されて。
「まあ、化生にとってボクらの存在は『取るに足らないもの』で、一番気にしてるのは狗神の挙動だから、そこまでの注意は払われないだろうけど。念のためね」と付け加えて。
まーのマネージャーがTV局屋内の駐車場に停めたところで、勇がボソリと呟く。
「……おかしいな」
「何が?」
駐車場には人気がなく、代わりに静けさが満ちている。後部席に座る勇を振り返って聞き返しても、難しい表情をしたままで変化がない。
「……予定外ですか?」
隣りの七が確認するように聞き返した。勇は表情を変えずに頷く。
「うーん……。そこまで外れてるわけじゃない。ただ、何だろう。『なんか気持ち悪い』。こういう時は、大体何かを見落としてるんだ」
「師匠、うっかり者ですもんね」
「失敬な。ボクのうっかりはうっかりに見えてうっかりじゃない。敵を騙すにはまず味方から。どこにも隙のないボクが敢えてうっかりを装うのは、」
「もういいですよ。うっかりは」
勇の言葉を七がサックリと切った。
切られることに慣れているのか、特に気にもせず、勇は話を切り替える。
「……『二つの対立』と『犠牲になった人々』。そういう構図と思ってたんだけど、それ以外のファクターが、まだ何かあるのかもしれない」
「他に敵がいるってことですか?」
勇は肩をすくめた。
「さあね。『姫』はそこまで教えてくれなかった。少なくとも、ボクが見てる前では。自分で考えろ、と言うことなのか、『今はまだ知らない方が都合がいい』という意味なのか」
──姫?
さっきから勇と七の会話は意味不明だ。
「ま。仕方ないですよ。私たち、万能じゃないですから」
「『姫』って何だよ」
会話に割り込むと勇がうーん……、と唸った。
「ここではね。後で説明する」
つまり、このケッカイ内では言えないこと。
ケショウに関することなのだろうか。
七が淡々と言った。
「……師匠。とりあえず、相手してもいいですか?」
「そだね。こっちに猛スピードで向かって来てるから、逃げるのは難しそうだ。ケガしないよう、させないようにね」
「了解。じゃあ、行ってきま一す」
まるで、洗濯物でも取り込むような気軽さで、七はワンショルダーを背負うと車から降りた。
その会話を聞いて初めて、後方から近付いてくる三人の警備員に気付いた。見た目には、特におかしな部分はない。ただ、異様なほど早足で近づいてくる。
「あれね、けーちゃんの友達なら、まだ意味は分かるんだ。でも、いーちゃんの友達だからね」
「……けーちゃん、いーちゃん…?」
「そ。けーちゃんといーちゃん。二人は仲あし。仲悪し、でナカアシね。で、あれはいーちゃんの友達」
言ってる意味が分からなかった。
いや、わざとふざけた言い方をしてるのは分かる。けれど、肝心の「何を言いたいのか」が分からない。
(ちなみに『けーちゃん』はケショウ、『いーちゃん』はイヌガミ、『友達』はたぶん『仲間』とか『手先』の意味だと思う)
……勇には見えないものが見えるから、彼らに何か「変なもの」が憑いてるように見えるのかもしれない。
それが「いーちゃんの気配」?
「彼らは元々、リミット式で配置されてたのか、それとも。
……いーちゃんはね、今、自分のことで手いっぱいのはずなんだよ。『敵がいる』とも思ってない。けーちゃんに完全に誘導されてるからね。
まあ、ここが病院だったら意味は分かるよ? 病院には、乗り移るまではキープすべき『本体』があるから、落とされるわけにはいかない。でも、この駐車場は何も関係ない。
なのに、なんでこのタイミングで、ここに『友達』が出てくるんだろう。
まるで『誰か』が、いーちゃんに入れ知恵でもしたみたいだ」
「ケ……、けーちゃんとい一ちゃんが……、仲悪いっていうのは、本当に『絶対』なんだよな? 実は裏ではグルでした、とかじゃないよな?」
「ない。真空で火を灯すくらい、ない。
まあね、普段なら『物事に絶対は無い』と言いたいところなんだけど。自然の摂理、自明の理にはかなわないからなあ。
……仮に例外があったとしても、今回は当てはまらない。色んな辻褄が合わなくなる。
………ただ……、いや、やっぱり、もう一人誰かいるのか」
「は?」
「『かざした刃物の下ろし方がわからない』
……あれは誰のことを言ってるんだろう。取り込んだ怨霊?自我の強いのが居たのか。いや、でもいーちゃんの変異はそれより前からだし。………そうだ。そもそも、いーちゃんはなぜ変異したんだろう。きっかけは何だったのか。
そして、あい……緑の君に目を付けたのは、なぜなのか。考え出したらキリがない。それとも、ボクは考えすぎなのか」
ぶつぶつと独り言を言う。
「……よく分からないけどさ、他に敵がいるなら、女の子一人で行かせるの、危なくないか?」
勇に注意を促す。
チラッと振り返ると、七はすでに警備服を着た男たちの前に立っていた。
ゆるく編み込まれた、ふわふわの茶髪が揺れる。がっしりした体格の警備員と比べると体格差がひどい。まるで、大人と子供だ。
七は彼らに何か話かけているようだったが、男たちに反応はない。
「ユキちゃんは大丈夫。むしろ、ボクが助けに行って、うっかり捕まった方が危ないぞ!」
「いや、女の子に一人で行かせて、何胸張ってんだよ。だったら、オレが行って話してくる」
男たちは腰の警棒に手をかける。
「ああ。だめ。無理。話とか通じない。あと、依頼人を危険な目に合わせるわけにいかない。……まあ。ユキちゃんの実力を見てよ。そしたら、松潤の心配が杞憂だって分かるから」
「実力?」
──バン!!
ハッとして、音のした方を振り向いた。
一瞬、七が打たれたのかと思ったが違う。何をしたのか分からなかった。
後ろ姿だったのもあるが、距離が遠い。
倒れたのは男の方だった。
七の体に残ったモーションから、どうやら背負っていた黒いワンショルダーを、下から、男の顔にぶつけたらしい。
でも普通、女の子に鞄を顔にぶつけられただけで倒れるか?
そのまま、くるりと一回転すると、同じような動作を繰り返し、男たちが全員倒れた。
「え。何が起きてる?」
「ユキちゃんの鞄の中にはさ、三節棍が入ってるの。というか、ほとんどそれしか入ってない。3、4キロくらいかな」
「サンセツコン?」
「節が三つあるから、三節棍。三つの棒に分かれたヌンチャクみたいな武器を想像したらいいよ。ユキちゃんの愛用品の一つ。連結して棒代わりにもできる」
ヌンチャクと言われると、カンフーアクションを想像した。リーダーがブルース・リーが好きって言ってたな、と関係ないことを思い出す。
「今のはたぶん、アゴにね、三節棍の塊を垂直にヒットさせたの。ボクサーのアッパーカットと同じ要領?急所にヒットすれば脳震盪も起こすよ」
「それにしたって……」
鞄の上からだし、そんなに強く当てたようにも見えなかった。
「ユキちゃんの狙いは、ミリ単位で正確だからね。動きの鈍い傀儡 (クグツ)ぐらいなら大した相手じゃない」
「クグツ?」
「人形。まあ、人形みたいに操られた人のこと。
使い慣れた武器なら、目を瞑っていても背後の人間にも当てられる。
新体操の選手が頭上に投げたリボンや棍棒を、ほぼ見もせずに受け取るようにね。実際、体操はやってたし。
武器は彼女の体の一部。
どういう軌道を描いて、どこに当たるのか。イメージだけでなく、肌で理解する。あの子は、そういう訓練を、小さい頃から徹底的にさせられた子だから」
「……訓練?」
「一応ね、彼女のとこの一族は、ボクんとこの一族を護衛するように義務……いや、契約付けられてんの。昔から亅
勇はつまらなそうに言って、続ける。
「で、彼女は、師から徹底的に、攻撃を『必ず』かわす訓練、攻撃を『必ず』当てる訓練、そして、人体の仕組み、急所、筋の断ち方から骨の折り方まで、あらゆるツボを教え込まれたの。
あの体格差だからね。一撃でも食らえば致命傷になる。
だから『当たっちゃいけない』し、『当てなきゃいけない』んだよ。
そして、未だに元気な彼女は、一度も決定的な一撃を当てられたことがない。
まあ、それでも、腕力は、成人男性くらいはあるけど。ボクより強いしさ」
「………うん。確かにあんたは弱そうだ。けど、かわせって言われても『はい、かわします』って、すぐ出来るもんじゃないだろ?
てか、そう言えば、あんたは何で師匠って呼ばれてるんだ?今の話だと、他に師匠みたいな人がいるのに」
「知らないよ!」
勇がなぜか胸を張って言い放った。
「知らない?」
「知らない。ある日、突然呼び出した。ふふん。修行して強くなったら、ボクの体からにじみ出るオーラの高貴さと偉大さが分かったのかもね」
「のわりには、バカにされてる気がするけど」
「失礼な!彼女は照れ屋なんだよ。悪口雑言でしか、ボクを称えることができないんだ」
「おかしいだろ、その理屈。褒めるところは褒めるだろ」
「ま、とりあえず! 彼女に『戦い方』を教えたのは、ウチでは最強と呼ばれた男でね。半端な修行なんかしてないよ。
彼には両足が無かったから、ハンデマッチバトルの心得みたいなのものも、教えられただろうしね」
逃げたな、と言おうとしたけど、後半の言葉に気を取られた。
「は? 両足が無い? 無くて、どうやって戦ってんの」
「それがね。戦えたの。根性論じゃなくてね。……まあ。彼のことはいいよ。
そんな彼が『最強』やってたんだから、ユキちゃんも、やって出来ないことはない」
「両足の無い男」の話はしたくなさそうにぶつ切りにして、七の話を続ける。
「とにかく。ユキちゃんの強みは、動体視力の良さ、反応速度の速さ、体が柔らかいこと、体幹がしっかりしてること──つまり」
「つまり?」
「どんな体勢からでも攻撃に移れる」
「…………?亅
具体的にどういうことか、わからなかった。ふう、と勇がため息をつく。
何かムカついた。
「要するに、最初の一撃をかわすと同時に、そのままの体勢から攻撃に移れる。武器の軌道は分かってるから、相手を見ないままでも攻撃を当てられるんだよ。奇襲にもなるし、タイムロスがな……」
「師匠、ただいま戻りました一!亅
明るい声がして、バンッと急に車のドアが開いた。軽やかな足取りで、七が車に乗り込んでくる。
「おかえり。あ。そだ。三人はどうした?」
「とりあえず、目を覚まされたら面倒なんで、柱の陰に三人ぐるぐる巻きにして置いてきました!再度操られないようにちゃんと護符も付けておきました」
「ん。わかった」
「雪比良さん、ケガしてない?」
七に尋ねるとにこっと笑った。とても21歳の成人女性とは思えない、少女スマイルだ。
「大丈夫です。松本さんは優しいですね!」
「そうでもないけど。……そういえば、気になるとかどうとかって話、そのままでいいのか?」
ちょっと照れ隠しに否定して、ぱっと勇の方を見ると、なぜか鞄をごそごそとあさっていた。何をしてるんだ。
「ん−。それは考えながらやることにする一。真相を知るのが目的でもないし。時間は有限だ。……ユキちゃん、インカム着けた?」
「オッケーで一す」
まるで、イヤリングでもするように、七は右耳にインカムを着けた。
インカムと言っても、オレらが歌番組やライブで使用するみたいな、コードが付いた受信機に繋がってるやつじゃない。激しいダンスをする時に使うヘッドセットでもない。
もっと小型で、ハンズフリーのBluetooth(
ブルートゥース)のインカムに似ていた。耳にかけるイヤホンとマイク部分だけの。……いや、それより。
「インカム?」
「特別製。ま。ある種、特殊空間に行くからね。電波が届きにくいとこに。スマホで連絡は取り辛いだろ。あと、ユキちゃんは両手が空いてた方がいいの」
そう言えば、霊的なものは特殊な電磁波を出してるとか、だから、電子機器と相性が悪いとか、どうのこうの言ったっけ。イマイチ、意味がわからなかったけど。
勇は鞄から20cmくらいの長さの、少し黒みを帯びた金色のクナイのようなものを取り出した。
「何だ、それ」
「独鈷杵 (トッコショ) って言うんです」
七がにこやか、かつ、簡潔に説明した。
いや、名前だけ言われても。何なのか分からない。ただ、武器っぽく見えた。まさか、そんなもので戦うのか?
考えを見透かすように勇が説明する。
「閉じてる扉を開ける道具だよ亅
「それが?」
「うん。そう。じゃ、入り口に行こう。
マネージャーさんはちょっとここに居てね。ボクだけ、また戻ってくるから」
そういえばと思う。まーのマネージャーはずっと黙ったきりだ。少し心配になって顔を見る。
「大丈夫か?」
「……ええ。はい。何だか状況について行けなくて。おかしいことだけは……、わかります」
「そりゃ、オレもおんなじ。とりあえず、まーと翔くん連れて帰るから、ここに居て」
「手紙なんて、見せなければ良かったんでしょうか……」
「わからないけど、無理だね。まーはああ見えて、意外と頑固だから。見せることにはなったんじゃない? それが直接の原因かも分からないし」
「そうですね」
「とにかく、ここに居て。番組に穴が開くかもしれないけど、今はそれどころじゃないから」
「対応を考えておきます。妙案は思いつかないかもしれませんが、最低限、理屈の通りそうな建前を模索します」
「任せた」
言って、車から降りる。
続いて、七、勇が車から降りた。
勇はトッコショを持ったまま、出入口付近をうろうろし、何かを探してるようだった。
「何してるんだ?あれ」
横に立つ背の低い七に尋ねると「層の薄いところを探してるんです」と答えた。
「層?」
そう言えば、ケッカイは「膜」のようなものだと言っていた。穴でも開ける気だろうか。
「私には見えないんで、詳しくは説明できないんですが、師匠とここの主の気は同系列なんです」
「うん」
「例え話になるんですけど、水の膜が張ってあるとして、水に水を混ぜても、水ですよね」
「うん」
「普通に穴を開ける……、流れる水を遮断する……相手のエリアに傷をつけると、すぐに相手にバレちゃうんですよ。
だから、師匠の『気』を膜の薄いところから溶かし込んで、内側に混ぜるんです。それを同じモノのように見せかける。
で、師匠の気なら、師匠の都合の良いように操れるので、膜の中に師匠の気の強いエリアを作って、そこだけを融かす。それで一瞬だけ穴を開けます。
その一瞬で私たちは中に入ります。そのために使う道具が独鈷杵です」
「でもさ、オレらが中に入ったら速攻バレるんじゃないの? 君の師匠の気は似てるかもしれないけど、オレらは違う……異物なわけだし」
「そこは大丈夫。今現在、師匠は私たちの周囲を、気の膜で覆ってくれてますから。私たちの『存在感』はここでは大分薄いです」
「いつの間に」
「こちらに戻る時ですかね。車ごと。
彼らの傾向として『全てを見通している』というよりは、『異物を知覚した際、そこにピンポイントで意識を向ける』という感じなんです。
全て見られてるなら、そもそも、最初から弾かれてますから。だから、静かに、地味一に移動すれば大丈夫です」
「地味に移動………」
「はい。とりあえず、水の中に透明なガラスケースを沈めるイメージをすると分かりやすいです。
外からは、水に沈んでるようにしか見えないですが、実際は水を遮断して、私たちは水の中にはいない。師匠は私たちの周りに空気を作り、水の中でも息ができるようにしてくれる。
でも、ガラスケースは透明だから、水の中ではその存在が見えない。気づかれ辛い。そんなイメージです」
……何か、よく分からないけど、ゆるキャラな見た目のわりに、あいつ、結構すごいのか?
「お仕事ですからね。それしか取り柄がないとも言います」
七がまた、にこっと笑う。わりと辛辣だ。
こちらの会話など聞こえて無いのか、空中でトッコショをゆらゆらと動かしていた勇がピタリと手を止める。
「開けるよー。スタンバイして−」
「はい。……松本さん、行きましょう」
にこやかな笑顔のまま、七が誘導する。
うっ。何かちょっと緊張してきたな。
いつも通るドアがいつものものでは無いように見えてきた。
薄いカーテンに刃を入れるように。
勇がゆっくりとトッコショを振り下ろす、その途中で。急に手を止めた。珍しく舌打ちする。
「まずいな。夜まで待たない気か」
「どうした?」
「こんなとこまで、いーちゃんの気が漏れ出てる。急いだ方がいいかもしれない」
言いながら、シャツのポケットから何枚かの薄い紙片を取り出すと──そう言えば、この動作は車の中でも見た───何事か呟いて、それを宙に投げた。
………え?
じゅっ、と音がしたかと思うと、紙片が空中で燃えるように消えてしまう。
何だ。今の。
「………本体の方にちょっかいかけてみるか……」
「一体、何、」
「予定変更!『彼』のところに行ったら、そのまま下に直行して。ルートは作っておくから。『彼』なら大丈夫だから」
『彼』は、たぶん翔くんのことだ。
「大丈夫って、何が」
「想定外の怖い御加護がついたから」
「怖い………ご加護?」
「説明してる時間がない。このままだと本当に、緑の君が食われるかもしれないよ」
「おまえは行かないのかよ!」
ちょっとカチンときた。
色々なことが見えているようなのに、自分は動かない。
分かってる人間が動いた方がいいに決まってる。なのに、何のつもりか分からない。
「松本さん」
七が、自分と勇の間にすっと割り込んだ。静かだけど、有無を言わせぬ口調。
「松本さんが不安なのはわかります。
でも、私たちには、私たちのやり方と手順があります。
師匠はいろいろダメ男だけど、情けの無い人間ではありません。
何が最善なのかもわかっています。
信じて下さい。それしか言いようがありません。
それでも貴方が、無理に師匠を連れて行こうとするなら、私は全力で阻止します。
ただ今は、ここで喧嘩してる暇も惜しいはずです」
言いながら、七はワンショルダーから、茶色い棒状の三節棍を取り出す。節と節が細い鎖で繋がれていて、片方を下に下ろすとチャリ、とかすかに音を立てた。
武器は彼女の体の一部───。
本当にそうだった。
何の気負いもてらいも感じさせず、摘んだ花を持っているだけのような、そんな気軽さで、───それを叩きつけ、敵を害す。
表情はかき消えて、目の奥には冷たいものが宿っていた。
「ユキちゃん」
勇が諌めるように名を呼ぶ。
「……………」
考えてみれば。
彼らは最初、自分とまーの「お祓い」をするために呼ばれただけだ。
本当なら、こんなことにまで付き合う義理はない。こんな危険なことに。
「……わかったよ。けど、後でちゃんと説明してもらうからな」
彼らはプロだ。そして、自分は素人。
仕方なく呟くと、七はふっと無表情を崩して、にこっと笑った。
その笑みはどこか作り物めいていて、自分より遥かに年下なのに、彼女の方がずいぶんと長い年月を生きて、心を隠す術を心得ているように感じた。
──敵ではないけど、味方でもない。
ただ、どこまでも勇の従者なのだと強く感じる。
「ごめん、松潤。もう開けるから、中に入って。ユキちゃん」
「はい」
なぜか勇が謝って、それから、まるで透明なカーテンを開けるような動作をする。七を呼びつけ、手本のように先に通した。七は軽やかにそこをくぐると、ドアを開けて手まねきをする。
正直、どこからどこまで膜が張ってるかもよくわからない。
ただ、たぶん、はみ出てはいけないんだろうから、真っ直ぐ歩いてドアをくぐった。一瞬だけ、気圧が変わったような妙な息苦しさを感じる。
そのまま、ドアが閉じた。
「あの、松本さん」
「何」
まるで何事もなかった